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2016年1月25日 (月)

富田林・寺内町を訪ねて

先日、「みのお市民まちなみ会議」の皆様と訪れた富田林・寺内町は、旧家の白壁と石畳が続く美しい町で、江戸時代、明治時代、大正時代の面影を色濃く遺し、町を歩くとまるでその時代にタイムスリップしたように感じられました。私にとっても初めて訪れる地であったので、一層そのように感じられました。当地の観光ボランティアガイド・樋口さんの巧みな、わかりやすい説明もあり、一行15名は楽しく視察を行うことができました。

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富田林へは、大阪天王寺から近鉄南大阪線で約30分。下車して東側に歩を進めると直ぐに寺内町の町並みが開けます。寺内町(じないまち)とは、室町時代に浄土真宗の寺院の境内に発達した集落で、周りに堀や土塁を巡らし、他宗派や封建領主の攻撃に備えた町です。他には、越前の吉崎、大阪の石山、奈良の今井町などが有名です。

富田林・寺内町は永禄初年(15581561)に誕生しました。京都興正寺の証秀上人が訪れ「荒芝地」を銭百貫文で購入、近隣4ケ村から8人の有力者を集めて興正寺別院を建立し8人衆の合議制のもとで御坊を中心とした町づくりが行われました。

 
その後、織田信長、豊臣秀吉の時代にも独立を維持し、江戸時代には幕府の直轄地(天領)となり、近くを流れる石川の水運と東高野街道・千早街道が交差する陸運に恵まれて宗教自治商業都市、在郷町として発展、今日に至っています。
 
平成9年には、大阪府で唯一の国の「重要建築物群保存地区」として指定され、更に平成20年には「日本の美しい歴史的風土100選」にも選定されています。町には、往時、木材業、酒造業、油業などを営んでいた旧家を含めて約250軒が伝統的民家としての風格を今も漂わせています。
 
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なぜこのような美しい歴史的な町並みが維持されて来たのでしようか。明治、大正、昭和と時代を生き、昭和の高度経済成長の時代も、境内は開発されず、そのまま残ったそうです。しかし昭和58年、境内にある杉山家が不動産屋の手に移り、一時、町の環境維持が危機に陥った時がありましたが、文化遺産に理解のある当時の市長さんが、これに反対し、不動産屋から買い戻したということです。これを端緒として、その後住民による保護運動が盛んになり、平成6年には町の保護運動組織が結成され、現在に至っています。

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町を歩くと、虫籠窓、忍返し、煙だしなどの昔の建築様式、更には、「当てまげ」という町筋の道と道を半間ほどずらし見通しを妨げるような道路上の工夫、などが見られ興味深く鑑賞させて頂きました。また古い町屋を若い方が廉価で借用し営んでいる町屋カフェやレストランが沢山見られました。

我々が視察していた時、富田林小学校の生徒が先生に連れられて町を散策し、勉強している姿が目に入りました。

このような社会見学は将来、郷土を愛する子供たちを育てるに役立つことだと思いました。

(記:八木芳昭)

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