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2011年8月26日 (金)

豊中市・麻田藩陣屋敷跡などを散策し昔を偲ぶ

「みのお市民まちなみ会議」主催の716()のタウンウォッチングは、豊中市の麻田藩陣屋敷跡、久保公園、高校野球発祥の地、そして豊中クラブ自治会館を巡るコースである。私は小中高学校時代に豊中駅の近くの本町4に住んでいたので今度のコースには大変興味があり、久しぶりにタウンウォッチングに参加した。

1)阪急蛍池駅西側Img_0001_4の蛍池旧公民館前に「麻田藩陣屋跡」の石碑がある。麻田藩は、豊臣家の七手組(旗本衆)の頭・青木一重が大阪の陣後に徳川家康に召し出され、麻田村を居所 とし、外様ながら14代にわたり幕末まで続いた一万石の藩であった。大阪夏の陣(1615年)後に作られた陣屋は、明治4年(1871年)の廃藩置県により消滅した。

現存する陣屋の遺構の内、「表玄関」は豊中市春日町2の報恩時(玄関の蛙股に青木家家紋の「富士に霞」が透かし彫りされている)、「西の門」は刀根山元町の上西家、「女中(じょちゅう)門」は蛍池中町2の小谷家に残っている。

2)その小谷家に残っている「女中門」の見学では、偶然に当主より話を聞くことができたのはラッキーであった。小谷家の門として残っている「女中門」は撤去された麻田藩陣屋敷の長屋門の一部であり、屋根瓦の家紋は「州浜(すはま)」である。

Img青木家の表門(主人の紋)は「富士に霞」であり、裏紋(妻の紋)が「州浜」である。「州浜」とは元は河口の三角州のことで、献上品やお祝い品を載せるのに使われる台がその形から「州浜台」と呼ばれる。また目出度いお菓子を「州浜」といい、今でも「州浜団子」として名前が残っている。

母屋の外回りは改装されているが、玄関から一歩家の中に踏み入ると、暗くひんやりした土間があり、太い柱が通っており、内部は200年ほど前に建てられたままの姿に保たれていたのには驚かされた。真っ暗な二階は蚕小屋で以前は養蚕をしていたと言う。

3)箕面から流れ下った千里川の畔の玉井町3には、元農業用水の溜池であった「久保池」を整備して出来た久保公園がある。ここは千里川より低位置にあり、洪水時に雨水などが滞留する調整池として平成4年に整備された。

Img_00024)「高校野球発祥の地」のメモリアルパークは玉井町2の日本生命の住宅が並ぶ一角にある。現在の阪急電車の前身の箕面有馬電気鉄道が、明治43年(1910年)に梅田~宝塚間と梅田~箕面間が同時開通した。電鉄は人口増加による固定客確保のために豊中駅近くに住宅地を開発した。


Img_0003 その一環として大正2年に豊中グランド2万㎡が建設され、大正4年には朝日新聞主催の第1回全国中学校優勝野球大会が10校参加で開催され、豊中が全国的に知れ渡った。その後、参加校が増えて第3回からは西宮市の鳴尾球場で、大正13年の第10回からは甲子園球場で行われた。

豊中グランドは大正末期に住宅地となり、昭和63年に日本生命の社宅の角地に「高校野球メモリアルパーク」が誕生した。「球史ここに始まる」の文字と朝日新聞・村山龍平社長の始球式を描いたレリーフがはめこまれている。

Img_0004 5)豊中駅の西側直ぐの玉井町1に木造2階建ての「豊中クラブ自治会館」があり、地域の方々の交流の場として活用されている。その建物は明治44年6月25日に現在の箕面駅前の交番付近に開店した日本最初の喫茶店「カフェーパウリスタ箕面店」であったが、何時?何故? 箕面駅前から豊中駅前の現在の地に移設されたか定かではない。

「パウリスタ」は今も東京銀座に1店舗を持つが、大正期に全国で26店舗を展開しており、箕面店がその1号店であった。今の建物の外側はブルーのトタンで覆われており、昔の喫茶店のイメージは全く感じられない。

しかし建物の中に入り、淡いブルーのペンキで塗られた木の手摺を伝わって2階への階段を上ると大ホールがあり、天井には細かい細工が施されており、シャンデリアがぶら下がっていた跡の円形の模様や、丸みを帯びたアーチ型の柱などが、当時の洋館の面影を感じさせる。

このホールに立っていると、今から60年ほど前、私が大池小学校の低学年の頃、「豊中クラブ自治会館」での青野先生の絵画教室

に兄と二人で通っていたことが懐かしImg_0005く思い出されるが、当時この建物の謂れなどは全く思ってもいなかった。

今回のタウンウォッチングで一番興味を持ったのは、小谷家の母屋の2階で養蚕をしていたという事実である。昨年9月のタウンウォッチングで、池田市の呉服神社に伝わる「呉の国から絹織物の技術が日本に伝わった」という機織り伝説を知った。

昔、箕面の牧落には桑の畑が広がり、北摂では養蚕が盛んであったと言うことなどが機織り伝説に繋がっているのではとロマンが広がる。

  (記:鈴木 博久)

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コメント

箕面駅前にあったカフエパウリスタは閉店後に小林一三氏が箕面地区の住宅販売所として使用していましたが、その後豊中駅前の玉井町の住宅販売所として使うために移築され、玉井町の住宅販売が終わった後に地元に寄附されたと聞いています。

投稿: 福田 | 2011年9月 7日 (水) 14時06分

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